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また仕事の波が押し寄せてます。最近は週末も特に関係なく動いております・・・。でも通勤のタクシー(そう通勤はタクシーであります。片道200円くらい)の中とか夜中に帰ってから30分くらいの時間をちまちまためて本は読み進めております。んで最近読んだのが:
「国家の罠」 これ、ついに読みました。読後始めに思ったのが、この佐藤氏が、「罪の罰」のラスコーリニコフに代わってはじめ逮捕されたキリスト教者のイメージと非常にダブったことでしょうか。結局理念と哲学が蒸留されたようなキリスト教者には結構共通点というのがあるのかもしれません。 国策捜査というのがどういうものであるか、国家の権力、そして意思決定層の思惑というのが、どんなかたちで国家の「実行層」のレベルに伝達され、遂行されるのか、ということが間接的に(著者は直接的にこの意思決定層に関する言及はされてませんので)伝わってきたように思います。 あと彼の情報屋としていろいろな人間分析があらゆるところでちりばめられているのですが、その中でも常に「なにがその人物を動かしている理念なのか」、という、これまた蒸留された無色透明の一滴を探す分析作業が私には非常に新鮮に映りました。 普通の人はここまで蒸留された状態には分析を持っていけない(確実に個人の見解の影響を受けますので)と思うのですが、彼は純粋な第三者的な目で冷静に見続ることをすることによってそれを(情報屋としての訓練か、もしくは宗教家としての訓練の結果なのかはわかりませんが)日常レベルで簡単にやれてしまうところに感嘆しました。個々の(行動、言動などの)事象のみをみるのではなく、その人間の理念を通して見えるベクトルのほうにこそ彼の分析の主眼が置かれているように思いました。 比べると私はそこまで蒸留した分析の目は持っていませんね。各事象の「なぜ」はわかるかもしれませんが、そこから理念を抽出し、ベクトルを見出す、という作業は人間が合理的な生き物である、という大前提があるようにおもいますし、その前提がひょっとして(政治化されたあとの近代)キリスト教という合理的な宗教の素地にあるようにおもいます。西洋哲学に見られるような、ある種の人間に対する最終的なよりどころとしての合理性、が彼の分析の中にも見られるような感想を持ちました。 そしてこれを読んで、自分自身もまた「大衆」の一部であることを痛感しました。「週刊誌での情報」レベルでしかこの事件を見られてませんでしたし、佐藤優、鈴木宗男というマスメディアが作り出した像と、実際の当事者が語る像とはまたものすごい乖離があるものだと改めてびっくりしました。外務省の事務次官の決裁、時の首相の意思を持って動いていた彼がどのようにして国策捜査に組み込まれ、そしていかに検察側が作っていく「一つの悪事の小説作品」の作成過程に組み込まれていったのかがかかれてあります。そして彼曰くの、 「国家の権力をもってすれば、このような国策捜査の被告に正直”なんでも”できることは自分が20年体制側にいたので良くわかるし、司法の独立性というものをそもそも私は信じていない」 との記述にまぁそうだろうなぁ、とおもった次第。 -- んでもう一つ読んでいる本、「A New Earth」の作者の処女作の「The Power of Now」ですがあともう少しで読み切りとなります。またご報告いたしますが、個人的には「A New Earth」のほうが読みやすくとっつきやすくてお勧めであります。
by takaakinet
| 2007-04-15 15:01
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