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最近はまっている岡崎久彦氏のもう一つの著作、「情報戦略のすべて」であります。以前下に戦術と戦略の引用として書いたのはこの本からでありました。
この本は岡崎氏が今までに書いた投稿論文、エッセイを選り抜いて再掲載したものであります。20年以上前のものから数年前のものまでが網羅されています。日本には未だにアメリカに(すくなくとも組織の機構だけでも)似ている情報組織、そして専門の情報官制度がないからつくらなければ、と提案しています。実際に情報に関する各省の部門もトップが急に何のバックグラウンドもなく2年間の周期で出ては入る、ということをしていたようではなにも質のある情報分析はできない、というものです。 日本国内にある、「情報は早く取ったもの勝ち」という、「新聞記者のメンタリティ」が日本全国、そして政府機関にも蔓延しているとも指摘しています。湾岸戦争突入のニュースを外務省がTVを通じて知った、ということだけで外務省の失態として報じられる姿勢そのものが改められなければならないというものです。 とある家で火事があった、という情報はその横にたまたま寝ていた酔っ払いが一番先にしることに何の価値もないが、その第一次情報をどのようにもっと収集して、そして分析するのか、ということに焦点がいくべきである、と。 日本にある、早く報じたもの勝ちというメンタリティは情報分析、という世界での著しい質の低下を呼ぶし、このようなメンタリティが各省にも蔓延してしまって、自分の出世までもこれにかかっていってしまうような事態になってしまうともうどうしようもない、というものであります。 アメリカでの複数ある情報機関では、すべての第一次情報は彼らのネットワーク上に公開されシェアされ、そしてその上で各機関がその分析をもって競争する、ということがなされているそうです。氏はこのようなシステムのほうが我々が第二次世界大戦で犯した過ち、つまり上層部が勝手に情報の取捨選択をしてしまえる状況を救えるより良い道である、といっています。 ”A”という事実を知っている、知らない、という事実のみをもって人を判断してしまう人が現代社会に恐ろしいくらいいるのかを考えると、このような氏の意見は、そのまま日常社会に当てはまると思います。「そんなことも知らないのぉ?」「そんなこともしらないでよく~ができるね」等など・・・知っている知っていないというくだらない状況をもって人を簡単に(そして愚かに)判断してしまう人たちがいかに多いかを見る度に常にがっかりとさせられます。あと自分の知っている情報・従事している世界は他のやつらよりも重要だ、という井の中の蛙的な考え方も今の日本に蔓延しすぎています。(まぁどこの社会もそうかもしれませんけどね・・・) 自分の知っていることは、誰がいつどこで知ろうが、それを実践していない、応用していない時点でそれは単なる腐ったゴミです。自分の世界に浸って(その世界のことを通じて)もっと他の世界に通じていかないのは愚の骨頂です。知っていることと、行っていることが一致していなければ(=知行合一)、僕はその人の生きている人生はあまり意味がないと思います。完璧に合致させられる人などいないと思いますが、いかに合致することに挑戦していくのか、ということに常に焦点をおくべきであると思います。
by takaakinet
| 2005-05-28 00:00
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